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M&A交渉における適正な取引価格の決定メカニズム

M&Aの交渉における価格を含む様々な諸条件について、どのように合意形成がなされるのかを概観しつつ、M&Aにおける「適正」な取引価格とは何なのかについて考察する。

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M&Aに関する企業の発表や報道等が出る度に、市場ではその取引価格が「割高」ではないか、との議論が巻き起こる。その根拠をEV/EBITDA倍率や株価収益率(PER)など、対象会社の収益に対する倍率で説明するケースが多い。当然ながらM&Aにおいては、何をいくらで買ったかではなく、その案件を通じて、買い手がどのような新たな価値を創造するのか、を問うことが重要である。
本稿では、M&Aの交渉における価格を含む様々な諸条件について、どのように合意形成がなされるのかを概観しつつ、M&Aにおける「適正」な取引価格とは何なのかについて考察したい。

M&A:自社だけでは創造できない価値を生み出すためのツール

昨今、買収価格の高騰が指摘される中で、企業のM&A 担当者からは、コーポレートガバナンスに対する意識の高まりもあり、買収そのものに慎重になっているという話を聞く。同業他社が買収によって積極的に海外に出たり、市場シェアを増やしたりしている一方で、買収した事業がうまく行かずに減損が発生する事例もあり、高値掴みのリスクに対する見方が厳しくなっていることが背景にある。

M&Aは企業価値を拡大させるための戦術の一つではあるものの、設備投資や研究開発、人材育成など、経営基盤を築き上げるために必要な様々な投資を時間をかけて行っていくのとは異なり、それらを一気に獲得する行為である。例えば、ベンチャー企業のM&Aでは「Acqui-hire」という言葉も飛び交う。対象会社の優秀な人材を取り込むことを目的とする買収のことである。では、なぜ企業は自ら投資を行って一から事業を構築し成長させることではなく、「買収」という手段を選ぶのか?

よく「M&Aとは『時間』を買うことだ」と言われるが、それは特定の買い手にとってのみ機能するM&Aの果実の一つに過ぎない。多くの企業にとってのM&Aの目的は「自社だけでは創造できない価値を生み出す」ことにある。つまり、自社のみで投資をして立ち上げた場合以上の価値を手に入れるために他社を買収する。では、M&Aにおいて「適正」な取引価格とは何なのか。どのようにして定まるべきものなのか。教科書的にはそれは、M&Aの対象となる企業の持つ事業基盤の本源的価値と、それぞれの買い手企業によって異なる、両社の統合後の事業が生み出す長期的なシナジー価値を足し合わせた額の範囲内で定められるべき、とされる。ただ、同様にM&Aという交渉事においては、買い手企業が企業価値拡大というゴールに対して、当該M&Aの対価と引き換えに得られると想定する価値創造を、より確実にするための様々な取決めを、交渉の中できちんと確保することが重要となる。その意味で、「適正」な取引価格というのは、それらの価格以外の条件の確保との見合いの中で設定されるべきものとも言える。

「シナジー」と「のれん」の関係から紐解く「適正」な取引価格

そもそもM&Aの取引価格は、何か決まった計算式で導き出せるものではない。それは、売り手と買い手がそれぞれの思惑をもって、多岐にわたって交渉をした結果、合意される多くの取引条件の一つである。コーポレート・ファイナンスの観点から言えば、M&Aで合意されるべき取引価格とは、対象会社、または事業の本源的価値に、当該M&Aによって新たな創出が見込まれるシナジー価値の一部を合計した値と言える。ここで肝心な点は、2社の結合によって生み出されるシナジー価値とは、当然のことながらM&Aというイベントを通じて初めて顕在化されるものであるため、その定量化された価値の源泉は、買い手と売り手の双方にあることを正確に認識する必要があることである。つまり、裏を返せば、M&Aにおいて、その買い手でしか生み出せないシナジー価値についてまで、取引価格に反映することは、過大なプレミアムを支払うもととなる。そして、過大なプレミアムは当然、後にのれんの減損という会計上の大きなマイナスに繋がるリスクを増大させる。

「のれん」とは、M&A実行日における会計手続きとして、個別資産を時価で再評価した時価純資産と取引価格の差額のうち、識別不能な価値である。その減損が発生するのは、買収後、対象企業(事業)から見込まれる割引後将来キャッシュフローが、買収時点の想定通り創出できないケースが想定された場合である。のれんの減損は、会計上の取り扱いとして税務便益の認識が認められないため、企業の最終利益を大きく毀損することになる。

減損処理の背景としては、主として以下のような要因が考えられる。

  1. 対象会社のスタンドアローン価値についての査定が不十分、不適切であった場合。
  2. 買収プレミアムが、そのM&Aによって増加する事業価値の範囲を超えて設定されていた場合。
  3. M&Aの交渉の過程で、上記2点について適切な査定および正確なシナジー価値を評価していたにも関わらず、その価値実現のために必要な取引条件、例えば潜在的リスクへの対応や、円滑な経営移管等の取り決めについて、明確に買収契約書において担保しないまま、想定シナジー価値にもとづく価格で合意してしまった場合

その他にも、買収後に想定しない地政学的リスクが顕在化したり、マクロ経済が急激に悪化したりといった個々の企業のコントロールの及ばない事由で、結果としてのれんの減損処理が必要となるケースも確かにある。しかし、上記の3点の中で、特に3つ目の点については、M&Aの契約交渉の過程において、事業の査定や将来予測に基づく評価とは違い、十分な検討が行われない、もしくは曖昧なまま契約締結に進んでしまうケースがあり、「適正」な取引価格を実現する為には注意を要するポイントとなる。

取引条件交渉:シナジー実現のための「約束事」の確保

M&Aにおける綿密かつ多岐にわたる交渉の結果は、すべからく最終契約書に集約される。改めて留意すべきは、M&Aが価値創造の手段であり、企業価値向上がゴールということである。交渉の目的は、「なるべく高い値段で売却しよう」でも「可能な限り安く買い叩こう」では必ずしもなく、当該M&Aを通じて自社のみでは創出できない価値=シナジーを実現するための事業基盤を、確実に獲得するために必要な約束事を取り付けることである。

例えば、あるクロスボーダーM&A案件があったとしよう。買収プロセスの交渉期間中には、時差もある中、買い手候補の企業、そのフィナンシャル・アドバイザー、売り手側海外企業の3 者間で、回線を繋ぎっぱなしにして何時間にもおよぶ電話会議は珍しくない。そこでは株式譲渡契約書の諸条件を、タームシートと呼ばれる一覧表に纏め、一つ一つ合意していく。

その案件においては、買収後のシナジー価値創造に重要となる必須条件が、(1)鍵となる従業員のリテンション、(2)将来最低3年間にわたる重要取引先との商取引条件の維持、(3)売り手が保有するIT システムの継続利用、(4)売り手が有する知的財産権(IP)の無償利用、(5)売り手側生産拠点の環境リスクの切り離し、であるとする。これらの重要条件を確保するために、IPのライセンス契約とTSA(Transition Service Agreement:買収後の移行期間中のサービス提供に関する合意)の締結を取引実行条件として、案件のクローズ前にIP利用とITシステムへのアクセスを確実にする。キーマン社員のリテンションや取引先等に関する条件は、アーンアウト条項(条件付対価支払い)として契約に反映させる。一方で、表明保証・コベナンツで環境リスクの切り離しを行う。その分、交渉として取引価格を多少上乗せすることになるかもしれない。しかし、これらの努力により、買収した企業、または事業が買収後に本源的価値を守り、かつ統合後の新しい事業体制下で十分なシナジー価値を創造するための「約束事」を契約の中で確保することになる。言い換えれば、M&Aの交渉においては価格についての単に「高い」、「安い」の視点からの議論ではなく、むしろ上記のような付帯条件をどこまで契約に盛り込めるかが、ひいてはそのM&Aの成否に直結することになるだろう。

「適正」とは:企業価値向上の戦略の結果論

「適正」な取引価格を実現するためのステップを纏めると下記の通りとなる。

  • 長期的な企業価値向上のための戦略の策定
  • M&Aで実現すべき価値創造と、具体的シナジーの検討
  • バリュエーション
    • 買収対象の本源的価値分析
    • ( 可能な限り)個別シナジー項目の定量化
  • シナジー実現のための重要な取引条件の洗い出し
  • 交渉戦略立案(何をどこまで譲歩するか)
  • 交渉、取引価格決定

このステップを逆から見ると明確だが、M&Aにおける取引価格が「適正」であるか否かは、そのM&Aが生み出すシナジー効果(価値創造)を含む、企業の長期的な企業価値向上の戦略の成果が顕在化して初めて議論できるものなのである。

冒頭の企業のM&A担当者の例に戻ると、コーポレートガバナンスを意識するなら、M&A案件の検討において価格に対して過度に慎重になるのではなく、その交渉において死守すべき取引条件の検討にこそ慎重になるべき、という点を強調したい。そうすることが、振り返ってみると当時の取引価格は「適正」であった、との評価につながる結果をもたらすのではないか。

買い手企業が買収対象の時価総額に対して大きなプレミアムを支払うことは、その後ののれんの減損リスクの増大を自然に想起させる。しかし、減損は必ずしも取引価格の多寡のみで決まるものではない。M&Aにおいては価格も含め、数多くの交渉対象となる事項がある。条件交渉において価格は極めて重要なカードではあるが、M&A後の価値創造の取組みという一歩引いた視点でみれば、唯一絶対のものとは言えないのである。買い手となる企業にとってまず大事となるのは、買収で得る成長のための新しい事業基盤が、買収後に想定したシナジー価値をより高い確度で生んでいくために必要な諸条件を、契約交渉を通じて確保し、買収契約書においてきちんと担保することである。それが買収後に想定した価値創造を行い、かつ減損リスクを最小化する取組みの第一歩と言える。

執筆者

株式会社 KPMG FAS コーポレートファイナンス
マネージング・ディレクター 阿久根 直智(あくね なおとも)

2017年に入社以降、ヘルスケア、化学及びTMTセクターにおけるM&Aアドバイザリー業務に従事。KPMG以前は欧米の投資銀行にてヘルスケア、TMTセクターのカバレッジ担当として、多くのクロスボーダーM&Aおよび資金調達案件に携わる。
慶応義塾大学総合政策学部卒

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